月別アーカイブ: 2011年3月

梅か桃か


Filoli から帰ってきてから、ず~っと考えていた事がある。それは、梅か桃かということ。
ばんちゃんは桃という植物学的な概念の基に、桃が好きと言ったわけではなく、桃の木を見てあの木が好きだと言った。そして、その札には、たまたま桃と書かれていた。
私はその同じ木を見て、札を見て、改めて感心し、驚いてしまった。というのも、札に梅と書かれていたら、きっとそのまま信じてしまうだろうなと思ったからだ。それだけ梅も桃も、そして桜も見分けがつけられないことを再確認したからだ。

今年も、そんな時期がやってきて、胸がざわめく。桜の季節だもの。満開の時には真っ白になる並木道を、もう一度画像として収めたい。でも、突然あの木々が桜かどうか、自信がなくなってきた。そこで、調べてみたら、きっちりと説明してくれているサイトがあった。

桜・梅・桃・杏の見分け方

断然、桜

すごくわかってしまったぞ。花びらとか、花のつき方だけではなく、木の幹からも見分けがつくんだ。すでに咲き始めている家の前の花は・・・

これも桜でしょ?
たぶん桜・・・

教科書通りにはいきませんね~。葉の形も花びらも、幹の表面も桜っぽくない。でも、やはり桜?そうではなかったらなんだろう・・・

ちなみに、私は梅が好きだ。派手に咲き誇ることはなく、でも主張のある香りがある。開花直前の硬い蕾が開きかけている様はかわいらしい。紅梅が雪の中で咲いている景色があったら、さぞかし美しいことだろう。

松尾芭蕉がこんな句を詠んでいる。

春もやや けしきととのう 月と梅 

”やや”は”ようやく”という意味。そして”けしき”は”景色”ではなく、”気色”ということらしい。
だとするとこの辺には梅はあまりないのではないかと思う。この句のように、厳しい冬を越えて待ちかねた春の到来を告げるのが梅の役割なのだから、こんなにぬくぬくと最高に過ごし易いベイエリアにはふさわしくない。ちょっと探索してみようかな。


					

雪だるま


雛祭りの気配・・・と思っていたら、あっという間に通り過ぎ、3月も2週目を迎えた。
この週末はいろいろな事があり、中でも雪のヨセミテ国立公園は感動がぎっしりで、記録に残しておかなければならない。

20110305-IMG_0083

私にとって雪だるまと言えば、大きな雪のボールを2段に重ねて作った記憶があるし、今でも日本ではそうだよねえ。今の子供たちはもう、作らないかな~?20110305-IMG_0041.jpg

それはさて置き、今までどうも違和感があったアメリカの雪だるま、それはやはり、3段重ねにあった。
ばんちゃんもキッパリと雪のボールを3段に重ねるのが当然と言っている。頭、胴、そして足のつもりらしい。3段だからどうしても細長くなって、私としては安定感がないように感じる。それが違和感に繋がっていたんだろうと、この雪だるまを見て気づいた。この写真の雪だるまは一番下のボールが異常に大きい。これなら文句ないだろうと主張しているかのように安定感のある体型になっている。私と同じ不安感を持っている人がこのヨセミテの地にもいた事を発見できてうれしかった。

ヨセミテから帰ってきて、すっかり疲れていた。にもかかわらず、Filoli に行ってみようとばんちゃんが言い出した。そこで、小雨の降る中を閉演時間前のFiloli の庭を訪れた。本格化し始めた雨に、カメラを出す勇気がなくて写真はなし。でも、まだ硬いけど色づいた蕾が小雨の中で美しい。紅色の桃の花がチラホラと咲き始めていた。ばんちゃんの好きな花らしい。これから1週間ごとに変化する庭が楽しみだ。

程よく疲れていた私たちは、せっかくだからばんちゃんのお母さんも誘っちゃおうということになり、歩いていける Florentine というイタリア料理屋で夕食をご一緒することになった。初めてお会いするとなると緊張するかなと思いきや、まるで懐かしい友人と再会していたかのように時が流れた。第一印象はチャーミング。ベレー帽に太陽のペンダント。82歳にはとても見えない。アメリカ文学を専攻されただけあって、本はたくさん読んでいらっしゃる。まずは私が日本神話の紹介をしてあげて、ギリシャ神話から、イギリス神話と話が移行していった。アーサー王と円卓の騎士たちの話やらをしはじめたら、もう止まらない。Monty Python が当然出てこなくてはいけないわけで、会話は最高の盛り上がり。まさに滑稽な戦闘シーンは Monty Python の誇張した展開と大差ないこと、殺し合いの仕方が温かいとか・・・

母が82歳で他界したことを考えると、この出会いに意味があるように思えてくる。